柴田多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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 フリーダカーロ(1907〜54)を知っていますか。メキシコを代表する画家です。たくさんの自画像を描いていますが、その中の一枚に「ひび割れた背骨」という絵があります。彼女の上半身は裸で、コルセットをはめています。身体の真ん中は割れていて、背骨が描かれているのですが、それは古い宮殿のひび割れた柱。身体のあちこちに小さな釘が刺さっていて、そこからはうっすらと血がにじんでおり、彼女ははるか遠くを見つめながら、涙を流しているという絵です。
 その絵を一目見たとき、私はまるで自分のようだと感じました。その絵に釘付けにされてしまいました。というのも、彼女も6歳のときにポリオにかかっているのです。脊髄性小児麻痺の私たちの背骨は今にも崩れ落ちそうな宮殿の柱そのものです。全身に刺さっている釘は、これまでの人生の中でできた心の傷に違いありません。また、涙を流してはいるものの、気が強そうな彼女の顔つきは、意地っ張りな私と同じだと感じたからでした。
 彼女の伝記を読むと「びっこのフリーダ、反抗的な少女時代」と書かれていて、私はますます親しみを覚えました。
 最近、彼女の一生は映画化され、そのものずばり「フリーダ」という題名で上映され、一層注目を集めています。私もさっそく見に行きました。しかし、映画の中では、小さいときからポリオであったことはほとんど描かれていません。若いときに交通事故にあって重傷を負い、その痛みをこらえ、不屈の精神で絵を描き続けたということになっています。しかしある程度、事実に基づこうとしたのか、三箇所だけポリオであったからこそのエピソードが、挿入されていました。
 ひとつは、少女時代に家族で写真を撮る場面です。彼女は男装で登場します。映画では、彼女が奇抜さを狙うおしゃれな女の子だったという描かれ方でしたが、実は、細い足を隠すためだったと、伝記にはあります。
 二つ目は、彼女は人生の終わりごろ、同じポリオの後遺症を持つ医者と親交を結んでいます。とても信頼していたと伝記に書かれていました。映画の中でも、死が迫った彼女の病床に、杖をついた医者が登場していました。でも、何の説明もなかったので、その医者が杖をついている意味は、映画を見ている人には、何のことか分からなかっただろうと思います。
 三つ目は、彼女の結婚式の場面です。フリーダは、20歳も年上の有名な画家、ディエゴと結婚します。ディエゴにとっては三度目の結婚。その席上、前の妻が現れ、自分のスカートをめくり、きれいな足をみなの前に示します。そして、テイエゴに向かってこういうのです。「あなたは、この美しい足を捨てて、マッチ棒のような足を取った」と。
 「マッチ棒のような足」ポリオの足を表現するのに、あまりにも的確なことばでした。
 映画館で、その言葉を耳にしたとき、いい年をして恥ずかしいのですが、私はひどく胸をつかれてしまいました。辛くて思わず目をつぶってしまったほどでした。
 交通事故にあったとはいえ、映画の中の彼女は、みなの前でダンスが踊れるほど回復し、また、かなり肉感的にも描かれていました。ですから、映画の中の彼女だけを見ている人にとっては、「マッチ棒のような足」という形容は、到底彼女の足とは結びつかなかっただろうと思います。伝記には、彼女が幼い頃「棒足フリーダ」とからかわれていたことが書かれていました。ですから、そのせりふのもつ本当の意味は、ポリオの足ということなのです。
 この場面は伝記の中ではもっと悲惨なものとして記されていました。めくられたのはフリーダのスカート。みなの前にさらされたのは、フリーダのマッチ棒のような足だったとか。そのような状況で、例の言葉が前妻の口から吐き出されたのです。彼女の身体にまた一本の釘が刺さり、彼女はきっと「泣くもんか」という顔つきで、涙を流したことでしょう。
 同じ映画を見た人にこの話をしましたが、この場面を覚えている人はほとんどいませんでした。「そんなとこ、あったっけ・・・・?」という反応。心に響く場面は、人によって異なるのでしょうね。
 この場面、私の心にはズシンと響き、心の鐘の音もキンコンカンキンコンカンと、しばらくの間けたたましく鳴り響いたのでした。そして私も、フリーダに負けず劣らずのきつい表情で涙を流したことでした。

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