柴田 多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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「ポリオ」というと、ほとんどの人は足が不自由な人を思い浮かべると思う。しかし、手に麻痺が残った人もいる。足の麻痺の方が、人数的には圧倒的ではあるが、私たちの会員も、1割程度は手の麻痺の人だ。
私たちの会では、毎年4月「手のポリオ会」を開いている。通常の例会だと、足の麻痺に関する悩みが主流になって、手の麻痺に関する悩みには、なかなか十分な時間がとれないのだ。今年も神戸市の「しあわせの村」で、手のポリオの人だけのお泊り会が開かれた。手の人はフットワークがいいので、けっこう遠方からでも集まってくる。男性二人を含めて、和気藹々の会になった。
私は、足のポリオなのだけれども、夕食の時だけ、ちょっとお邪魔させてもらった。
麻痺の残り方はさまざまだ。片手には全然力が入らず、ぶらぶら状態という人から、なんとか手を上に挙げられるけれど、手先は使えないとか。手先は使えるけれど、荷物は持ち上げられないとか。それぞれに違うという点は、足の麻痺と一緒だ。 手に麻痺が残っている人の悩みは、足の麻痺の場合とはかなりちがっている。
  例えば、かさは絶対ワンタッチで開くものがいいとか。バッグは肩掛け式にし、中の物が混ざらないように、色紙を入れて区切っておくとか。ナイフとフォークの両方を使わなくてはならない洋食は、苦手だとか。片手で洗濯物を干したり、料理をするときの工夫など、聞いていて、なるほどと感心することばかりだった。 足に麻痺が残った人の最大の困難は、ほぼ移動の一事に集約できるだろう。それに比べて、手に麻痺が残った人の悩みは、いろいろな方面に及んでいるように感じた。手の使い道がさまざまだからだと思う。
ふと、手扁の漢字は多いなと気が付いた。漢和辞典で調べてみた。出てくる、出てくる。「払」「打」「折」「投」「抜」「押」「抱」「挟」「持」「拾」「振」「掘」「採」「掃」「描」・・・など。動作を表す漢字がずらっと並んでいる。小型の漢和辞典でも、手扁の漢字は338字ある。 これに対し、足扁の漢字は120字で、ずっと少ない。しかも、「跡」(あしあと)「路」(みち)のような字も含まれていて、全部が全部、足の動きをあらわすものとは限らない。よく使う字で、動きを表すものは、「踊」(もと、飛び上がること)「踏」「跳」「蹴」「躍」(高くはねあがる)くらいである。動作を表すような漢字はほとんどない。 それに、足扁の漢字の表す動作の大雑把なのに対し、手扁の漢字の表す動作がなんと細かく分かれていることか。人間の動作全体の中で、手の果たす役割がいかに多いか、また、その動作がいかに複雑であるかということを物語っているのではないだろうか。
こんなに手の果たす役割が重要なのに、手の麻痺は一見して分からない場合が多い。足のポリオなら一歩、歩いただけで、すぐ気付かれるけれども、手のポリオの人は話をする程度なら、いつまでたっても気付かれない。 ただ、なかなか気付かれないというのも、却って悩みの種なのだ。「人に自分から話さないと分かってもらえないから、つらかった」「いつまでも人にできないといえず、自分でも、障害者であることが認められず、とても苦しかった」というのが、手のポリオの人の共通の発言だった。 他人の障害に気が付くのは、主に目の働きだろう。目扁の漢字は118字。その中に「 」(目をそむける)などという字もある。障害に対しては、自分の心を眩(くら)ませず、「直視」(直の字も目扁です)するよう心がけたいものだ。自他ともに。

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