柴田 多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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私は、6月1日から、あるところのデイサービスセンターの施設長をしている。通勤が少し難しいため、小さな部屋を借り、私は大阪に、夫は神戸に、息子たちは京都にと、一家離散とあいなった。思いがけない人生の転機である。こんな犠牲を払ってでも 仕事をしてみようと思ったのは、私のポリオ人生の完結が、この仕事によって、図れるのではないかと考えたからである。
東京での長期研修、一ヶ月の準備期間を乗り切り、8月にデイサービスはオープンした。 問い合わせの多くは、脳梗塞の片麻痺の方からだった。見学も相次いだのだが、皆さん片麻痺になられて日が浅いため、どの方も、障害の受容がなかなか困難なようで、「このデイサービスでリハビリしてがんばります」とおっしゃりながら、「こんな体になってしもうて、家族に迷惑をかけるし、もう死にたいですわ」などと、もらされる。 「私なんか、48年間、足を引きずって歩いてきたんですよ。何十年間も元気でいらしたのですから、ゆるしてくださいね」なんていっても、あまり効果はないのである。挙句のはてに、「柴田さん、こんな体になって生きていて、何の意味がありますか」と、いわれる。 「何言っているんですか、そんなことはありませんよ」と次々言葉が出てきてもよさそうなものなのに、情けないことに私は、「うーん」と答えに詰まってしまうのである。
どうして答えに詰まるのかと考えてみたとき、私の中でも、「私のポリオ人生は、なかなかおもしろかった。よくやっている」という自負はあるものの、どこかで「あー、一度でいいから、あんなミュールをはいてみたかった」なんていう思いが、48年間かけても消せないでいるからである。片麻痺になって、二、三年の人が、どうして素直に自分の障害を受け入れられようか・・・とその心情が痛いほどわかりもするからである。 でも、もう一つ思うことは、健常者であったときに、障害者と一度でも接したことのある人・・・関心を持ったことのある人は、障害を受け入れやすいのではないかとも感じる。 障害者を差別とまでいかなくても、自分とは無関係と思って暮らしてきた人は、自分が障害者となったことがかなり許せないだろうと思うのである。
 
というわけで、私は、神戸に帰ればポリオ会。大阪のデイサービスに行けば、中途障害の高齢者と接するという、麻痺だらけの日々を送っている。いろいろなことに出会うたび、「まあ、いいけど・・・」とつぶやきつつも、「まあいいけどじゃあかん」という熱い思いも訴えている。「まあいいけど・・・」ではすまないことがなんと多いことか。
麻痺になって悔しい、麻痺になったら生きづらいこんな社会が悔しい、私の後半のポリオ人生も、この「悔しい」をばねにして生きていくのだろうけれど、時々本当に疲れてしまって、この「悔しさ」を代弁してくれる仲間がいたらなあと思う。
「まあいいけど・・・・」って思わないですむ社会になったらいいなあ。
 

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