柴田 多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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桜の季節になると、必ずといっていいほどため息交じりでよみがえってくる、哀しい思い出が私にはあります。今回はそのご紹介。 この原稿を書いているのは、3月の末。桜もちらほら咲いているので、このことが思い出されてならないのですが、活字となって皆さんのところに届くのは、もしかして葉桜の頃? いやいや、暑い夏かも? もし、そうなっていたらご容赦くださいね。
 
私が中学一年生の春の遠足のときの話。遠足の行き先は岩国の錦帯橋でした。入学したてで、新しい友達、新しい先生に囲まれ、岩国に向かう電車の中は春の陽光にあふれていました。 四人がけの座席に、私はYさんと並んですわっていました。私たちの前には大学を出たばかりの若い数学のF先生。いろいろ話す中で、F先生が「花なら何が好きかい?」とたずねられました。 けっこうおませで読者家だった私は、ちょうどその頃、谷崎潤一郎の「細雪」を読み終えたばかりで、桜の美しさがイメージとしてとてもくっきり頭に残っていたので、躊躇なく「桜が好き」と答えたのです。すると先生は「桜は多恵さんには似合わないなあ。桜ならYさんだ。多恵さんは野に咲くスミレが似合う」と。
 
そのあと私がどう答えたのか・・・・、私の記憶はそこまでなのです。ただ、哀しい気持ちが心の中で広がっていったのを覚えています。 そのYさん、東京の一流大学卒業後、NHKのアナウンサーになり、その後ある民放の経営者のご子息と結婚して世の話題をさらった才媛で、中学生の頃から満開の桜にぴったりの華やかさを持った人でした。かたや私は、ポリオの後遺症をもち、左足を引きずって歩く人生。まさしく、野に咲くスミレのように、今にも人に踏んづけられそうな世の片隅に根を下ろして、生きてきた気がします。 今となっては、F先生もこんな一言を覚えているはずもなく、春がくるたびに私がため息をついているなんて、想像もしていないことでしょう。私も、こんなことなど気にせず、スミレもかわいいと思えばいいのに、毎年、満開の桜の下で、生まれ変わったらゼッタイ桜のようになってやる・・・なんて、少し涙をにじませながら憤っているのです。 人には笑われるかもしれませんが、この思いは募ることはあっても、しぼむことはなく、死んだら私は「木葬」にしてほしいと思っています。植えるのは桜。桜の根元に眠り、私は毎年、満開の花を咲かせるのです。
 
何をもって人生の花と考えるかは、人によりさまざまだと思うし、私の人生もそれはそれでよくやって来たとも思うのですが、いわゆる「華やかさ」というものには縁がなかったと思います。しかし、それももっともで、そもそも「華やかさ」という価値判断は容姿や行動様式なども含めて、健常者の世界にだけ適用されるもののような気がします。世間では、障害者というだけで、初めからこの価値づけの対象から外されているのではないでしょうか。 その意味では、F先生の一言は、たぶん本人も無意識のうちに世間一般の価値基準を私に教えてくれたのでしょう。そして、私は13歳の少女の頃から、その価値基準の下で、少しでも目を留めてもらえる「花」になりたいとあがき、見果てぬ夢に苦しんできたのでした。 なあんて・・・新米先生の何気ない一言をここまで引きずり、ぐずぐずと恨み言を書き並べてしまう私。哀しいし、恥ずかしくなります。外は、満開の桜。私のこの心の澱も、満開の桜のように昇華させてしまいたいなあ。
 

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