柴田多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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今回は、我が家の息子たちについて書こうと思います。長男は27歳、次男は24歳になりました。ふたりとも大学院生。就職はまだなのですが、お付き合いをしている娘さんがいるようで、つい最近長男が、その娘さんを家に連れてくるという大事件(?)がありました。
 
デイサービスに私がお勤めをしているという状況が3年間続いていますので、お掃除も何かとおろそかになりがち・・・・。ですから、その準備はとても大変でした。また、どうもてなそうか・・・どんなお料理をつくろうかなど、てんやわんや。とはいうものの、瞬発力が頼りの私は、当日の朝七時からフル回転。約束の1時に何とか間に合わすという神業(??)をやってのけ、ピンポーンとベルが鳴り、「あっ、はじめまして」「まあ、どうぞ、どうぞ」・・・・。ドキドキしたり、照れたりしているうちに、あっという間に夕方。2人を送り出し、夫と顔を見合わせ、「とても感じのいい娘さんで、まあ・・・良かったなあ」で一日は無事終了したのでした。
 
そんな中で私が感じたこと。
 
長男の良い連れ合いになるかもしれない人が見つかってとても嬉しいはずなのに、一抹の寂しさを感じてしまったこと。長男と次男が神戸の家から離れて、2人とも京都に行ってしまった4年前の日の寂しさ、喪失感を、私は未だに忘れられないのですが、今でも子供べったりなんだと、はっきり分かりました。
  翌日、友達に「こういうことがあり、子離れができていないと私は痛感しちゃった・・・」と話したら、実になるほどと、納得してしまう答えが返ってきました。
  「普通のおかあさんだったら、中学ぐらいのときに、息子は母さんなんかいらない。うるさい。あっちへ行け・・・というような反抗を見せるものよ。柴田さんのところは、お母さんの足が悪くて、弱いから、息子たちはあなたをかわいそうに思って、ずっと優しくしてきていたのだと思うよ。だから、あなたはいつまでも息子たちに甘えて、子離れできないのよ」と。
 
うーん、なかなか厳しいご意見だなあと感じながらも、やはり、そのとおりだと思ったのでした。長男がおっとりした性格だったことも一因と思うのですが、長男はずっと私にやさしかった・・・・と。中学の時、長男はバレーボール部に入り、キャプテンでアタッカーでした。
私はとても嬉しく、いつも試合の応援に行っていました。他のお母さんたちは、「息子が絶対に来るなというから応援には行けないのよ」といっている中で・・・・。母親の応援なんて恥ずかしくてたまらない・・・そんな年頃のはずなのに、息子は私に一度も「試合を見に来てはダメ」とは言いませんでした。 また、長男が大学生の頃、私が「母さんも何が勉強したいなんていう、根本的な欲求に基づいて、学科を選び、勉強できていたらよかったなあ。母さんはいつも、この足でどう生きるかばかりを考えて、伸びやかに勉強できなかったことがとても残念だった」とふっと話したとき、「僕はいつも母さんがそんなふうに考えているだろうと分かっていて・・・そう思うとかわいそうでならない・・・・」と、突然泣き出したことがありました。
足のことを話しても、長男がこんな反応を示したことはそれまでなかったので、私は思わぬ展開にすっかり慌ててしまい、つまらぬ愚痴を言ってしまったと、とても反省したことがあるのですが、その時のことも、彷彿と思い出されました。
そうだったのだなあ・・・・と今更ながらに思い当たることばかりで、私の障害と付き合ってきた息子たちのこれまでの生い立ちがいとおしく、申し訳なく、私はすっかりしょげてしまったのでした。
 
ともあれ、私は子離れをしなくては。自分のためにも。息子たちのためにも。
  上野千鶴子の『おひとりさまの老後』を読みました。とてもパワフルな内容の本でした。一日で一気に読みました。子供がいようといまいと、連れ合いがいようといまいと、結局、皆一人なのですから、しっかり腹をくくって生きなくてはいけません。まして、歩きにくくなる足を抱えているのです。これから、どう生きようかなあ・・・・とつくづく考えた一日でした。

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