柴田 多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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 フーテンの寅さんではないけれど、「それを言っちゃあ、おしめえよ」なんて、そんな台詞をはきたいときがある。
 私が仲間たちとやっているポリオ会でのこと。私たちは、春と秋に各地で、靴屋さん、補装具屋さん、お医者さんなどの講演会をしている。集うたびに、各自の自己紹介からはじまり、和やかな交流の場も持っている。同じ病気のポリオといっても、会員の後遺症の程度は実にさまざまで、車椅子を常時使っている人、松葉杖と車椅子を併用している人、補装具をつけて歩いている人、なにもつけないで歩いている人など。二つとして、同じ足はない。だから、各自の悩みもさまざまだ。
各々が、自分の状況を率直に話せて、今日の会も良かったなと思って帰宅すると、必ず何人かの人から電話がはいる。
  「柴田さん、とても大変な人もいるんですね。私のような者が参加していていいんでしょうか。階段を上がるのがしんどくなったなんて話をして、悪かったですね。私は軽くて幸せだったんですね」
 「柴田さん、ポリオ会って、軽度の人が多いね。車椅子に乗っている私らからしたら、軽度の人の悩みなんて、聞いていてあほらしゅうなってしもうた。なんか、軽度の人たちに、ここまでひどくならんでよかったなと思わせてあげるボランティアしてるみたい」 
 両方の気持ち、わからないではない。
でもね、「それをいっちゃあ、おしめえよ」と思ってしまう。
 子供の参観日に出かけた帰り道でのこと。ポリオ会のことが大きく新聞に取り上げられた頃のことだ。
「新聞みたよ。ポリオの会をしてるんだってね。どんなことしてるの」と。そこで私、「ポリオって、こういう病気でね、ああでね、こうでね、こんな活動してるの」とひとしきり説明。ふむふむと聞いていた彼女たち。 Aさん「何か私にできることがあったら言ってね。いつでもお手伝いさせていただくから」・・・ありがとう。 Bさん「あなたっていいわね。人生にテーマがあって・・・。うらやましい。私なんか、何もないのよ」・・・なぬ!
  Cさん「いろいろ大変だったのね。私って健康で幸せだったんだわ」・・・絶句。   もーう、「それをいっちゃあ、おしめえよー」
 私たちのような会のことを「セルフヘルプグループ」というそうだ。そんなグループの集まりに誘われて出かけた。そこで、障害児を持つ親の会の人と話す機会があった。いろいろな話の中で「親は当事者ではないけれど、当事者よりもずっと苦しいと思う」と言われた。ある面ではそうかもしれないとうなずきながら、ちょっと複雑な思いがした。そこまで苦しんでもらわなくてもいいのにと思ったからだ。「こんな子を持って大変だ。悲しい」と言われると、自分の存在がとても罪に思われてくる。
 そのあげく、「障害者とその親と、どっちが苦しいと思いますか」という問いを投げかけられた。とっさに相手のことを思いやってしまって、「そうですね、親の方ですかね」と答えてしまった。でも、心の中で「それをいっちゃあ、おしめえよ」とつぶやいた。
 障害の重さ軽さにこだわって、障害者同士でつまらぬことを言っていては、社会に向けて、何を言えよう。お互いがお互いを思いやりながら、お互いの悩みを分かち合わなければ。自分で自分の障害を、心からよしと認められたら、こんな発言はなくなるにちがいない。
 健康な人は、健康に慣れすぎて、不自由さということに、想像力が及ばないのかもしれない。障害者に接する機会が少なくて、何もわからないのかもしれない。たとえ心の中で思っても、口に出してはいけないこともある。
 障害を持つこの子をなんとか・・・と一生懸命に育ててくれる親。感謝しているけれど、努力してもできないことはある。できない私を認めてほしい。私は、小学校に上がるまでは、リハビリに通い、きれいに歩く訓練を繰り返した。ある程度は、筋力が回復したかもしれない。でも、きれいには歩けなかった。小学校に上がってからは、父も母も「目立たないようにきれいに歩きなさい」とはもう言わなかった。自由にぶかっこうに歩けた私は幸せだったと思う。障害児を持つ親も、障害を持つ本人も、対等だ。どっちが苦しいなんて、いいっこなしだと思う。
 「しかし、まあ、障害者になんかならなきゃよかった・・・・。」

「えっー、それをいっちゃあ、おしめえよ」だ。

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