柴田 多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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 ポリオ会もこれだけの人数になってくると、「人生いろいろ。女もいろいろ。男もいろいろ。手足の障害もいろいろ。」なんて感じることが多くなった。結婚している人、いない人。離婚経験者もいれば、再婚もいる。「いろいろ咲き乱れて」いて、本当に結構なことだと思う。 ところが、会をはじめるときの自己紹介の場面で、こんな質問をぶつける人がいる。
 「ねーねー、だんな(奥さん)は、健常者? 障害者?」と。
 なんやねん。こんな質問、何の意味がある?   必要ある?
  もうー、これはいったいなんやねん。

 「ビューティフルライフ」というドラマが大はやりした。キムタク扮するカリスマ美容師と、常盤貴子扮する車椅子に乗る図書館司書とのラブストーリー。健常者が障害者に対して、どうしても感じてしまう戸惑いとかためらいとか、障害者が健常者に対したときの何ともいえない引け目のようなものが、まあまあうまく描かれていて、毎週楽しみにしていた。
ハンサムなキムタクにうっとりとして見とれていたある晩、お腹がちょっぴり出てきた夫が「20年前、ぼくはキムタクだった。なんていったら、みんな笑うだろうなあー」とつぶやいた。
 「本当にこの足でいいの」と、それはそれはしつこく問い詰めた上での結婚だった。あの頃の私は、障害をもっている自分にどうしても自信がもてなかった。だから、どうして「こんな私のことを好きだ」なんてこの人は言うんだろうかと、半信半疑ならまだいいが、一信九疑のような心境だったのだ。おそらく障害を持つ者ならではのこういった気持ちを語り合うことのできる相手、つまり障害者仲間は私の周りにはなく、いってみれば私は健常者の中で、一人ぼっちだった。

 ポリオ会をするようになって、私は多くの障害をもつ女性、男性と知り合い、話し、教わることが急激に増えた。それは私にとって、とても画期的なことだった。そして、私は自分の障害を客観的に素直に考えられるようになったと思う。
 中途半端な障害であったために、私は「あるときは健常者、あるときは障害者」とチャンネルを切り換えて生きてきた。それは、けっこうしんどく、またある意味ではずるがしこい生き方だった。けれど、この会の活動を通じて、あるときから「私=私」という一つのチャンネルで、人に対することができるようになった。
 その頃から、夫が何度も「君の歩き方なんて少しも気にならないよ」と十年一日のように繰り返してきた言葉の意味が、分かってきたような気がしたのだ。
 「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史が変わっていただろう」なんていうけれど、「私がポリオにかかっていなかったら、私の人生は全く別のものになっていたにちがいない」でも、その人生が幸せな人生だという保証はどこにもない。たとえ、ポリオにかかっていなくても不幸な人生だったかもしれないのだ。
 夫に「しょうもないこというけど・・・」と前置きして、こうこう思ったけど「そう?」と尋ねると、「ハハハ」と笑い、そして、照れ臭さを隠して、かっこをつけて言ったのです。「ぼくが好きになったのは、あなたから聞こえてくるハーモニー。歩く姿も、そのハーモニーを奏でる一部。それがなかったら、好きにならなかったかもしれないんだ」と。

 「障害をもった人生は、大変でしょ。つらいでしょ。哀しいでしょ」とよく決めつけられる。その証拠に「足が悪いのに、どうしてあなたはそんなに明るいの」なんて、せりふをよくいわれる。それに対して、「障害をもった人生もなかなかおもしろいし、毎日けっこう楽しいんだよ」といってみても、「まあまあ、そう意地を張らなくても」なんてあしらわれ、「負け惜しみ」としか受け取ってもらえない。
 「わたしね、両足のそろった健常者の人生と、代わりたいとはもう思わないよ。これはこれでなかなかよかったしね。」なんて言おうもんなら、相手は一瞬ことばを呑みこみ「うっそー」という顔をする。
  健常者のこの思い上がりは許せない。
障害があるから、物理的にできないこと、不便なことは確かにある。でもけっこう私たちの人生は楽しい。信じてほしいなあー。
 結婚する相手も、健常者、障害者関係なし。その人の奏でるハーモニーの美しさが大事。そこを一番に見てほしい。
 そして私は、自分がもっともっと美しいハーモニーをかなでられるようになりたいと思うのです。

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