柴田 多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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最近テレビや新聞をにぎわしているムネオさん、加藤さん、辻本さん。この三人には共通点があるが、その中で私が一番感心しているのは、自分の非を一応は認めながらも、いろいろ理屈をつけて正当化しようとする態度が見え隠れしているところである。すごいなあと思う。
7年前に産声をあげた私達のポリオ会。同時期にできた東京の会とつながり、新聞等のメディアの助けも借りて、本当に大きくなった。各地に会が続々と誕生し、昨年の末にはついに「全国ポリオ会連絡会」を発足した。全国各地の会が協力して、私達の病気に関する正しい情報を入手し、伝達し、さらには私達を取り巻く医療環境や、社会環境も良くしていこうという連絡会である。
一昨年、「ポリオとポストポリオの理解のために」という本を作ったのだが、その本を購入して下さった方々に、「全国ポリオ会連絡会」の発足を知らせる会報をお送りした。そして、同じポリオ同士、協力してもらえませんか、いっしょにやっていきませんかというお手紙も添えた。
それからしばらくたったある晩のこと。こんな電話がかかってきたのである。
「柴田さん、お世話になっています。会員の○○です。今日、妹の嫁ぎ先に、会報が送られてきたそうです。妹から電話がありましてね。そんなことをされては困るんですわ。あの本は、妹が私を心配して、妹の名前で申し込んだんです。だから、妹あてに届いたんでしょうけど・・・。私がポリオだということは、妹は知っていますが、妹の嫁ぎ先には話していません。こんなことをされては、妹が困るんです」と。
「すみません。1200通も送ったものですから、○○さんの妹さんだとは分かりませんでした。二度と会報は送らないようにしますので、安心してください」と私。
「それならいいんですけどね。いつもポリオ会と大きな字で印刷してある封筒がわが家にも届きますでしょ。これもね・・・。主人が見て、もめたことがあります。主人は私がポリオということを知ってはいるんですよ。でも、おまえはたいしたことないじゃないかというんですわ・・・」
こういうモヤモヤを抱えている人たちは、たいてい、障害者手帳を持っていない。障害者手帳は自分で申請しない限りもらえないものだから、手帳をとろうかとるまいか、お悩みになる。隠そうとすれば隠せる程度の障害だからだ。手帳を持つことへの抵抗感が、さらにいえば障害者への差別意識が一番大きいのは、この種の方たちなのではないかと私は思う。
彼、彼女達は、病気にかかっただけ。後遺症が残っただけ。そのためにけっこう不自由な思いをしたというのに、どうして、世間に対して障害を隠したり、肩身の狭い思いをしなくてはならないのだろうか。
さて、皆さんの中には、次のような感想をもたれた人もいらっしゃるのではないだろうか。
「よくある話だわね。世の中ってそうなのよ」
「障害を隠すその人が、弱虫なのよ」
でも、世の中ってそんなものとあきらめていいのだろうか。障害を隠す人だけを、一概に責められるだろうか。彼、彼女がなぜ障害を隠すのか、それを考えなくてはと思う。障害者になったら、明らかに差別されるからではないのか。結婚差別、就職差別・・・・そういう社会が厳然としてあるから、臆病になり、小さくなって生活するようになるのだ。
ムネオさんたちのように、あつかましいのも考えものだが、障害をもった者は、もっと自分に自信を持つべきだと思う。胸を張るべきだと思う。できないことがあり、助けてもらうことが多いので、とかく自信がなくなりがちだ。それはよくわかる。でも、自分自身の人間としての尊厳をもっと自覚すべきではないだろうか。
障害をもっていらっしゃらない方にお願いしたい。やっぱり障害者って気の毒、世の中ってこんなもの・・・・で終らないで、障害者が肩身の狭い思いをしないですむ社会を、一緒に作ってもらいたい。私達も胸を張ります。だから、よろしく!!

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