柴田 多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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最近、「柴田さんの活動はとてもユニークですね。私たちの雑誌に紹介させていただけませんか」などと、原稿の依頼を受けることが増えてきた。おこがましいのだが、神戸ポリオネットワークの活動が評価されるようになったのだろう。
  共に会を支えてくれている会員全員のおかげなので、私は、大いにうれしいのだが、原稿を書くたびに、ちょっと複雑な気持ちになるのである。
なぜかといえば、活動内容の紹介となると、どうしても会発足のいきさつを書かなくてはいけないし、となると、私自身がポリオにかかったときのことに触れなくてはならなくなるからである。「私は、昭和32年、1歳半でポリオにかかりました・・・・」というフレーズは、絶対不可欠だ。でも、最近の私は、こうやって自分をさらけ出すことに少々疲れている。もう何回この言葉を書いたことか。
こんなことを、ポリオ会のある会員に話したところ、「どうして?そんなことにこだわるなんて。それは、柴田さんが自分の障害をしっかり受け止めていないからでしょ」といわれてしまった。そうかもしれない。彼女は、「自分の人生は獲得の人生だ」と言う。「全然歩けなかったのに、杖を突いて歩けるようになった。あきらめていたのに、結婚もして子供も生めた」と。
  「・・・のに」「・・・のに」。彼女は「のに、のに」の思いで生きてきているという。
それに対して、わたしは「もし自分の足がよかったら・・・・」と今でも考えてしまう。「もし、足がよかったら、走るのがすごく早かったかもしれない。もし、足がよかったら、タイトスカートの似合うOLをして、お見合いをして、普通に結婚していたかもね」なんて。
「・・・たら」「・・・たら」。私の「たら、たら」の思いは、自分でも「しょうもない」なあと思うのだけど、どうしても消えない。
  健常者の友達に、私の「たら、たら」の思いを語ったところ、「私は、なんでも試すことができたから、自分の実力不足のせいで、この人生なんだとすんなり思えるよ。あなたは、自分の実力を試しきっていないから、つい「たら、たら」となって、ずっとあきらめきれないんでしょうね」と。これにも一理あって、納得した。「たら、たら」にすがる自分がいることも、本当だからだ。
自分の障害のこと、自分の思いをさらけ出すことに疲れるのは、わたしの障害受容の不徹底という問題もあるかもしれないが、もう一つ別の理由もある。それは、わたしが一生懸命書いた思いを、読者が果たしてきちんと受け止めてくれるのだろうかという不安である。
  「ふうん。世の中にはかわいそうな人もいるんだ」とかで終わるのではないかという懸念はつきまとう。一番むなしかった経験は、大学の先生から、「研究対象の一事例として、興味深かった」というお返事をいただいたことだ。貴重な一事例になるというのも、少数派の人間の悲哀かもしれない。
  自分の思いを書いているとき、自分の心は濁った泥を沈殿させているコップの水だと思うことがある。悲しかったこと、つらかったことを思い出して書くと、心が波立ち、いつもは沈殿しているいろいろな恨み、悔しさなどの泥がわあーっと噴き出てきて、心をにごらせてしまう。泥が沈殿するまで時間がかかり、コップの水はなかなか澄まない。つらい時間だ。そして澄んできても、泥があるかぎり、コップはいつまた濁るともしれない。
でもね、いつも私は「しゃあない。まあ、がんばるか」と自分の心を奮い立たせて、ため息をつきながらも、元気の良い文章を書いて、「良い機会を与えて下さってありがとうございました」でおしまいにする。そして、「たら、たら」ばかり思っているわけでもなく、私も「のに、のに」モードで、自分の人生を肯定していることもある。ともあれ、こんな二つの思いの狭間で揺れながら、時には元気に、時には泣きべそかきながら、私の人生は終わっていくのだと思う。わたしの心の鐘の音、「キンコンカン、キンコンカン」と、まだまだとてもけたたましく鳴り響く。もっと軽やかな鐘の音になりたいな。穏やかな鐘の音になりたいな。

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