柴田多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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私は、毎週火曜日の午後、神戸市の北区にある「しあわせの村」の「障害者テニススクール」に通って、テニスを楽しんでいます。
車椅子テニスとは別で、何とか立てる人が対象のこのクラス。脳卒中、聴覚障害、脳性マヒ、手の切断、膝に人工関節を入れている人、私のようなポリオの後遺症を持つ者と、障害も年齢もバラエティに富み、全部で10人。コーチは2人。「うまくラケットに当たったね」「派手に空振りしたね」といっては、寒空に歓声を上げています。
春はコートを囲む山々に新緑が芽吹き、初夏には黄色い花がいっぱいに咲きます。紅葉は一週間おきに見るために、秋の深まりを実感させてくれます。やがて木々の葉が落ち、冷たい風が吹きはじめます。寒さにふるえながらも大きく息を吸うと、身体の中まで風がヒューッと入ってきて、心のもやもやまで吹き飛ばしてくれる気がします。リフレッシュのひとときです。
さて、テニスの上手下手は、障害の種類や程度にも多少関係しますが、その人の天性の運動神経に一番左右されると思います。
いくら足が悪いにしても、そこで空振りする? と首をかしげたくなることも。また、足の悪さもカバーして、「ううん、うまい!」と周囲をうならせる人も。そんな人たちへの皆のフォローも傑作です。
「足が良うても、スポーツはあかんかったんちゃう? あきらめられてよかったねぇ」
「いやぁ、足が良かったら、ウィンブルドンやわ。あきらめきれへんねぇ」と。大爆笑です。下手でも構わない、競わない、そして遠慮しないで出来るスポーツは、安心です。

思い起こせば、学生時代の体育の時間には、楽しい思い出はあまり残っていません。私は後遺症が比較的軽く、普通校で過ごしましたので、障害者は私一人でした。ですから、私レベルで楽しめることはほとんどありませんでした。それでも、なんとか皆と一緒にしようと、いろいろと工夫をしたように思います。
たとえば、幼稚園や小学校のかけっこ。私はスタートラインのかなり前に立たされての「よーいどん」でした。先生の考えられた工夫です。そんなふうに、ハンディをつけていただいても、いつのまにかビリになって、ゴールイン。幼かったので、何でいつもこうなるんだろうと不思議に思っていました。   
バスケットの時は、いつもゴール下。他の4人が奪いとったボールをピョーンと私にパス。私はひょいとゴール。得点王(?)に輝きました。私はちょっぴり器用だったのです。卓球は、カットの方法を教わって、動かないですむように、台にぴったりくっついて球を返していました。体育の時間は、ともかく体操服に着替えて、できることだけは努めてするといった具合でした。
でも、二本そろった足にはとうていかなわず、こんな夢もよく見ていました。夢の中で、私はバスケットをしています。「あっ、あそこにボールが投げられる、よし、カットするぞ。」そこに足を出そうとする。「あれっ、足に鎖がつけられている。ああ、どうしても動かせない。あっ、ボールがとられてしまう!」で目がさめる・・・・・。
スポーツに関して、こんな経験しかない私ですから、「足が動かないこと」が前提となっているこの教室は驚きだったのです。  

私が最初にこの教室に参加したのは、今から6年前のことです。直接の動機は、二人の息子の子育てが一段落し、楽になって、それと同時に足が一層細っていくように感じたからでした。でも、仲良くしている健常者のお母さん達と一緒にテニスに行くというのは、気が引けました。お金を払っていることなので、迷惑をかけられないと思ったのです。
そんなある日、神戸市の広報で、私はこの教室の募集記事を見つけました。
「そうだ。私には障害者手帳もある。ここに行ってみよう」と思いました。
今から思えば情けないことですが、このことは私にとって、けっこう大きな決断で、心の転機でした。障害の程度が中途半端で、それまでは、ともすれば自分の歩く姿からも目をそむけていた私が、初めて障害者というスタンスを素直に認めた・・・・。それはまさしく、大きな転機だったのです。
初めて教室に参加した日のことは、よく覚えています。暑い日でした。私の打つ球は、その方向がまちまちでも、コーチは必ず私の目の前に打ち返してくれました。ちょっとでもずれて、私が間に合わなかったら、コーチは「ごめん」と言ってくださいました。私が「ごめんね」とあやまらないでできた、初めてのスポーツでした。本当にうれしかったです。

でも、実はこのテニス教室は、私にとって、もっともっと大きな意味を持つものでした。その日、私は生まれて初めて三つ年上のポリオの人に出会ったのです。すぐ彼女と仲良くなった私は、「ミニスカートがはきたかった」「ハイヒールもはいてみたかった」と打ち明けました。「ほんまやね」と彼女は笑いながら言っただけでしたが、共感してもらったという私の喜びは、それまでに味わったことのないものでした。
この喜びをもっとたくさんの人と分かち合いたいと思った私は、1995年の4月、朝日新聞の朝刊に、「ポリオの女性の会を立ち上げました。一緒にリハビリをしませんか。悩みを語り合いませんか」という呼びかけを載せていただきました。
あれから8年・・・・。魔法のような力に後押しされて「ポリオ会」は全国に広がりました。今では、なんと1200人のポリオの方々とつながっています。障害者の友達は一人もいなかったのに・・・・。夢のように幸せな気持ちです。

私の人生にこんな大きな転機を与えてくれたテニス教室でしたが、この6年間、ずっとこの教室に通っていたわけではありません。勤めたり、ポリオ会が忙しくて、中断していたこともあります。夏は、日焼けしてしまったら取り戻すことのできる肌年齢ではないとお休み。それでも、また行こうと思うのは、やはりとても楽しいからです。
でも、最近は少々困ったことになっています。テニスをすると、次の日に腰が痛むのです。いつまで楽しめるでしょうね。ラケットをほとんど振れなくなっても、出かけていき、ベンチに座って太陽をいっぱいに浴び、風に吹かれたいなと思います。

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