柴田多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
戻る

「キンコンカン」を書いている柴田多恵です。編集部だよりへの登場も2度目になりました。私の思いを表現できる場を与えていただいていることに、とても感謝しています。    
「キンコンカン」は、毎回書き上げるのにけっこう苦労しますが、その時々の気持ちをきちんと残すことができて、ありがたいとも思っています。私たちの『神戸ポリオネットワーク』のホームページにも転載していて、好評です。私の励みになっています。
いいこともひとつありました。なんと、「キンコンカン」の愛読者がポリオ会に入会し、強力な助っ人となってくださったのです。すごいでしょう。でも、その人いわく、「キンコンカンだけを読んでいた時の方が、柴田さんは素敵に見えていたなあ……」ですって。うーん、残念。
ともあれ、「キンコンカン」は私の心に大きな位置を占めるようになってきたと、つくづく感じる今日このごろです。

逆に私の心の中にぽっかりと大きな空洞をつくってしまったことがあります。それは、かわいい次男坊の旅立ちです。今春、晴れて大学生となり、京都で下宿生活を始めました。
彼は小さい時から絵が好きな子でした。何か賞状をもらって帰ってきたなと思ったら、それは決まって絵のコンクール。中学生になると、クラブに勉強に…という忙しい日々になったのですが、ある日のこと「美術の時間は、週に1時間。寂しいなあ…」とポツリ。どこかに、自由に絵を描かせてくれるところはないか? 探しあてた美術研究所に、毎週通い始めました。彼にとって、それはとても楽しいひとときだったのでしょう。高校に進学してからも通い続け、大学は美大にすすみたいと言い出し、ついに芸術学部の洋画科に入学しました。おめでとう。本当によかった。
3月の末、いよいよ京都へ出かける日、近くの駅まで見送っていった私に、彼はこういいました。「母さん、ごめんな。僕、薄情かもしれんけど、早く京都に行って絵が描きたいんだ。だからあんまり寂しくないよ」と。
夜、帰ってきた夫にこのことを話しました。しみじみ「よかったなあ」と、2人でしばし泣き笑いしました。
というわけで、現在我が家は3人家族。長男は自宅通学ができる大学の4年生で、まだ家にいるのですから、厳密に言えば空の巣ではありませんが、私も一種の「空の巣症候群」にかかっているような気がするのです。
いわゆる「空の巣症候群」とは、子育てを終了した主婦が、子育てという生きがいを失って陥る虚無感や寂しさから、何をするのもしんどくなって、ぼーっとしてしまう状態をいいます。私も、タガが外れたとでもいうか、何をするにも気力がわかず、ぼーっとしているので、症状は同じなのですが、私の場合は、その原因がちがうようです。
私の「ぼーっ」としている原因は、単なる寂しさだけではなく、「2人をやっとここまで大きくすることができた。大学生にもなれば、これからはどうやってでも、生きていけるだろう……。われながら、よくここまで育てあげたものだ」という安堵感からなのです。
1984年夏、生まれたばかりの次男を抱いて 2003年春、次男と大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)にて
 こんな気持ちになるのは、障害を抱えた私の人生の中で、「結婚」、そして「出産」「子育て」が、他の女性とは違った意味合いと重みを持っていたからではないかと感じています。というのは、結婚前の私に対する世間の「くくり」は、結婚なんてとうてい望めない「障害者」であって、「女性」ではありませんでした。
 私は大学卒業後、高校教師になったのですが、それは一人で生きていくために自活する手段をと、思いつめたうえでの選択でした。ですから、高校時代の私は、クラブに、文化祭にと夢中になっている友達を尻目に、家路を急ぎ机にかじりついていました。
 でも、どんなに勉強しても、あの2本そろった足の美しさには勝てない。つまさきですっくと立ち上がることのできる足がないと、家の中を思いのままに動きまわり、家族の世話をすることはできない。だから女である以上、どんなに頑張っても、そこで落ちこぼれてしまう。相手が健常者の女性であるというだけで、もう絶対にかなわないのだ。そんな思いに、いつもとらわれて、もがき苦しんでいました。さらに、この身体で赤ちゃんを生めるのだろうかと考えたとき、初々しく多感だった私は、どうしても自分の存在価値を見出せず、深い絶望感にうちのめされていたのです。
 こんなふうに思い込んでいた……いや思い込まされていた私ですから、こんな私と結婚したいという人が現れたとたん、苦労して得た仕事を何のためらいもなく、ぽんと放り出してしまいました。そして、子供が生まれたとき、これでようやく誰からも認めてもらえる「一人前の女性」になれたと思えたのです。結婚と出産。私にとっては、それは世の中の普通の人が思っているほど、「当たり前」のことではありませんでした。
 さらに、子育て。これは、二重の意味でちょっとしんどかったと思います。ひとつには、単純に肉体的ハンディから来る大変さがありました。思い起こせば、臨月の時、急激な体重増加のため、背中がよく痛みました。長男が歩き始めた頃、長男はどこまでも歩きたくて、トコトコ行くのはいいのですが、帰りは抱っこです。ある日突然、強烈なぎっくり腰に襲われました。それ以来持病になり、子育て中何回か繰り返しました。
 2人の息子が一人でおしっこに行ってくれるようになったとき、とてもほっとしたことも思い出されます。一日に何回ものトイレへのお付き合い。普通の人には、何でもないようなことが、足の不自由な私にはこたえていたということです。
 もうひとつは、精神的な意味でのしんどさで、子供に対して自分の障害が負い目として感じられることがありました。私の人生にとっては、生まれてほしい子供だったけれど、さて、子供にとって、私は理想的な母なのだろうかという自問が沸き起こってくるのです。あつかましい性格も幸いして、「ごめん」といいながら、また時には、「こんな母だけどよろしく」と無理に胸を張りながら……過ごしてきたように思います。自分の子供のことですから、かなり欲目に見ているとは思いますが、2人とも人の心の痛みのわかる優しい青年になったと思います。私の障害のおかげ(?)です。
 さて、これまでの人生を振り返ってみたとき、つくづく「あほらしかった」と思うことがあります。いわゆる世間の偏見によって、これほどまで悩まされ、縛られてきたということです。今、振り返ってみて、思春期に味わった悔しさとむなしさは、なんだったのかと時々残念に思います。この気持ちは、最近では、私の中で、ちょっとこわいのですが、そう!「怒り」に変わっていると感じます。
 しばらく休憩して元気になったら、この「怒り」をいろいろな方面から、分析して、研究(?)しようと思っています。「私の怒りの成分は……」なんて、論文を書きたいと思います。
 研究を始める前の直感ですが、私の怒りを解く鍵の一つは、小さいときから「びっこじゃなかったらよかった……」、次には「びっこでも、男だったらよかったのに……」と思い続けてきたことにあるのではないかという気がしてなりません。
 世間では、男性は経済力の有無がその価値基準の一つとされ、障害があっても、経済力さえあれば、一人前として扱ってもらえる(?)。それに対し、女性の場合は、まず「美」。そして「生むという役割」、「ケアという役割」を求められると思うのです。となると、障害ゆえに困難な場合が多い……。そのような世間の常識のもと、「女性障害者は、とうてい一人前の存在としては認めてもらえない」と、私は思い込まされていたのではないかということです。あたっていると思われませんか?
 研究を始めるにあたっての、もう一つの出発点。それは、私と同じような思いを抱いて生きてきた女性障害者が少なくないという事実です。「女性」プラス「障害」という共通項を持つもの同士で、これまでの人生を語り合い、しんどさを分かち合う中で、この怒りの正体が明かされ、怒りから解き放たれる力を得るきっかけがつかめるかもしれません。
 でも、研究をさらに深めていくためには、女性障害者同士の語らいだけでなく、健常者の女性にも輪を広げて、ともに話し合い、女性障害者の問題を女性問題全体の中で考えていく必要があるでしょう。
 あれあれ、「空の巣症候群」といいながら、とても前向きで、元気あふれる言葉が連発していますね。「空の巣症候群」……治ったかなあ。子育てから解放されて、すごくルンルンといえば、ルンルン。でも、しばらくは仮面をかぶり、楽をしながら、女性障害者の抱える問題を、真剣に考えてみたいと思います。
 私の「怒り」……。顕微鏡で見たら、どんなものが見えるでしょうね。汚い結晶かなあ。いえ、すごくきれいなのではと? だって、私は一生懸命生きてきましたから。
 「キンコンカン」も、がんばります。これからもどうぞよろしくお願いします。
(しばたたえ/『そよ風のように街に出よう』に「キンコンカン」を連載中)

戻る