柴田多恵
「そよかぜのように街に出よう」より転載
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キンコンカンのエッセイを担当している柴田多恵です。これまでに書いたエッセイは、 13篇。いまさらながら、たくさん書いてきたもんだと、自分のこととはいえ感心してしまいました。これも、締め切りの日を決めてもらうから書き続けられたわけで、折々の心の軌跡が残せて良かったと感謝しています。

さて、私は12年前にたった二人で、神戸ポリオネットワークという自助グループを始めたのですが、私の人生はそのときから、大きく変わってしまいました。その前後での自分の変化を「脱皮前の私」と「脱皮後の私」と称し、「セルフヘルプグループの効用」という演題で、人前で話すことが時々あります。

同じ後遺症を持つ人と出会い、「ほんまやね」と共感することで力を得、会はどんどん大きくなっていったこと。講演会を各地で何度も開催したこと。本も作り、全国に多くの仲間を得、全国連絡会も皆と一緒に作ったこと。そしてポリオの人のみならず、全ての障害者のため、障害者差別禁止法を成立させたいと願うようになったこと・・・自分でも悔しいと感じるくらい、『セルフヘルプグループの効用』とやらに浴し、エンパワーメントしたなと思います。脱皮前の私は、人前で自分がポリオにかかったと話をするだけで、涙が出ていたのですから。

さらに、その活動がきっかけで、私は二年前から、あるデイサービスセンターの施設長をするようになりました。この施設の経営母体は障害者をたくさん雇っている会社で、会長さんは同じポリオ。「障害者に保障よりもチャンスを」という会社の理念が少しでもひろがればという思いからの就職でした。慣れない仕事ですから試行錯誤の連続で、少々疲れ気味なのですが、私の世界はまた広がり、本当にいい経験をさせていただいていると思っています。

その私の職場、デイサービスですから、利用される方のほとんどは65才以上の高齢者です。とはいうものの、15種の特定疾患にかかられた人は、65歳以下でも介護保険を使えるため、50代・60代前半で脳梗塞になられた方、ALSの方、脊髄小脳変性症の方、若年性アルツハイマーの方なども利用することができ、私のところはそうした比較的若い方々の多い障害者系のデイサービスになっています。最初に見学に来られたとき、案内役の私が障害を持っていることで、親近感を感じていただけたケースもかなり多いのではないかと感じています。また、リハビリを売りにしていて、デイサービスというよりも、シルバー・トレーニングジムの感覚での利用が多いこと、男性の多いことも一因かもしれません。

ともあれ、そんな利用者の方々と日々過ごしていますと、自分も含めてのことですが、どうして世の中には治らない病気があり、それらの病気のためどうして重い後遺症に悩まなくてはいけないのかと哀しくなったり、利用者の方々も私も何も悪いことをしたわけでもないのに、こんな運命に見舞われるのは理不尽ではないかという怒りがこみ上げてきたりするのです。

私の働くデイサービスは、南大阪の和泉市にあり、自宅は神戸ですので、私は阪神高速湾岸線という道路を自家用車を運転して通勤しているのですが、その名のとおり、大阪湾岸に沿った道なので、夜はイルミネーションで本当にキレイです。その美しい夜景も私をおセンチにさせるのかもしれませんが、先に書いたような思いがこみ上げ、無力感にさいなまされている日は、涙がさめざめとこぼれてしまいます。

 「セルフヘルプグループの効用」などという演題で話すとき、私は多くの人にこう言われます。「お話を伺っていて、柴田さんは障害を受容されていて、明るく前向きに生きていらして、立派だと感じました」と。

 そう言われるたびに私は言葉に詰まります。私は決して障害を受容しているわけではなく、二本揃った足が心底うらやましくてならず、一度でいいから普通に歩いてみたい、ミュールも履いてみたい・・・・という抑えがたい願望を抱いているからです。でも、そんな本音を表に出して「障害を受容していない・・・」と言ってしまうと、「まあ、いい年をして・・・」とか、「弱虫なんだなあ」と思われそうで、何も言えなくなるのです。

 先日の講演会のとき、思い切って「私は障害を受容しているわけではないのですよ。私は健康な人が心からうらやましいのです」と話してみました。予想通り、多くの人の顔が当惑した表情に変わってしまいました。

 障害者の方からこんなふうに切り出すと、健常者側はフォローのしようがなく、困るのだなと感じ、この場をどう取り繕おうかと戸惑っていたら、その講演会を主催してくださった大学の先生が助け舟を出してくださいました。

 「私は常々、専門職が『受容』という言葉を安易に使いすぎているのではないかと思っていました。『受容』なんて、たやすく出来るものではないと思います。『受容』しなくても、『適応』して生きればいいのではないのでしょうか。柴田さんは十分障害に『適応』して生きておられると思います」と。

 この言葉を聞いて、私はほっとしました。「適応」して生きていることには、まあまあ自信があったからです。

 考えてみれば、デイサービスでも同じような場面に遭遇することがあります。利用者の担当のケアマネージャーさんの口から「この方は、いまだに障害を受容されていませんからねえ・・・・」などという言葉をきくことがあるのです。

 物心もつかないうちから障害を背負うことになった私などとは違い、デイサービスをご利用の方々は中途障害者。何不自由のない体で過ごした時間が長いので、現状を受け入れることは到底困難なはず。それでも、なんとか生きて頑張っているというのが現実なのです。 ケアマネージャーさんの言葉に対する違和感と、そのときふつふつとこみ上げた悔しさ、それらのよって来たるところがいまさらながら分かったような気がしました。

 「適応する」と「受容する」。

 考えてみれば、「適応する」は多かれ少なかれ誰もがしていることです。動植物だって環境に適応しなくては生きられません。一方、「受容する」には相当な意志の力が要求されます。そうそう、「受容する」より、もっと大変な言葉がありました。「障害を克服する」や「障害を乗り越える」です。これらの言葉には、健常者の論理だけで価値の体系を築き、障害を乗り越えて這い上がってきた者だけを認めてやるような・・・・そんな意識が見え隠れする気さえします。そして「受容する」より、もっともっと頑張らなければなりません。 なぜ、私たちだけがそんな難行苦行を求められるのでしょうね。

 人生を半ば過ぎた今でも、私は障害を受容できていませんし、正直に言えば、適応にも疲れるときがあるのです。

 でもまあ、もういい年なのですから、コンスタントに適応することを当面の目標にして残りの人生を生き、言いだしっぺの責任がありますから、ポリオの会だけは何とか続けようと思っています。そして、何の力にもなれないでしょうが、私が生きている間に、障害者差別禁止法が制定されることも祈り続けたいなと思います。

(しばたたえ/『そよ風のように街に出よう』に「キンコンカン」を連載中)

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