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ポリオネットワーク代表 柴田多恵 |
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ほんまやね」の共感 私は、昭和30年生まれ。一歳半のとき、ポリオにかかり、左下肢に後遺症が残りました。しかし、私は障害が比較的軽度であったため、普通校に通いました。その間、私の周りには、障害者は一人もいませんでした。
今から16 年前、私が39 歳のとき、神戸市の「しあわせの村」で開かれていた「障害者テニススクール」に参加し、生まれて初めて、同じポリオにかかった人に出会いました。すぐに仲良くなった私は、「ミニスカートがはきたかった」「ハイヒールもはいてみたかった」と打ち明けました。すると、彼女は笑いながら、「ほんまやね」と答えてくれたのです。
「ほんまやね」・・・「ほんまやね」
この言葉は、私の心の中で何度もリフレインされ、しだいに大きな喜びになっていきました。これまでに味わったことのない気持ちでした。
もっとたくさんの人とその思いを分かち合いたい、そう思った私は、1995 年の5月、朝日新聞の朝刊に、「ポリオの女性の会を立ち上げました。一緒にリハビリをしませんか。悩みを語り合いませんか」という呼びかけを載せていただきました。そのときは、たった2 人。ささやかなスタートでした。ところが、掲載されたその日から、わが家の電話は鳴り続けました。またたくまに関西を中心に150 人ぐらいの方たちと知り合うことができたのです。
障害者手帳を使って、障害者テニススクールに参加してみようと思ったこと・・・・。今から思えば情けないことですが、当時のわたしにとっては、清水の舞台から跳び下りるような大きな決断でした。ずっと普通校で過ごしたために、ともすれば自分の歩く姿からも目をそむけていた私が、初めて素直に認めた障害者というスタンスだったからです。
動かないですむようにと、目の前に返されてくるボールを、笑いながら、のびのびと打ち返すことができた私に、「やっとその気になったね」と、あの日の青空がすばらしいご褒美をくれたのです。テニスコートでの出会いは、たった一人との出会いではありませんでした。多くの人たちとの出会いを私にくれたのです。そして、障害はつらいものとして生きてきた私の人生を180度転換させたすばらしい出会いだったのです。
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私たちの会は、多くの新聞に呼びかけを掲載してもらいながら、ものすごい勢いで広がっていきました。この広がりは、「あなた一人ではないよ」という大きな心の支えをくれ、多くの会員を,そして、私を励ましてくれました。
そのようにして繰り広げていった活動の中で、私たちは、「ポストポリオ症候群(PPS)」という二次後遺症の問題の存在を知ることになりました。この「ポストポリオ症候群」に関する基礎知識を、ポリオの後遺症を持つ一人でも多くの人達に伝えたいと、私は考えるようになりました。痛みが出ているにもかかわらず、トレーニングなどをして症状を悪化させてしまうというような悲惨な例が後をたたないことがわかってきたからでした。
そして再度、朝日新聞の記者にお願いし、1998年5月「ポリオの痛みふたたび」という記事を全国版に掲載していただきました。この記事の効果は絶大で、ポストポリオについての正確な情報伝達が全国規模で進むようになり、これをきっかけとして、各地で次々に会が結成されました。
そして、2000年には、全国各地でできた会と連携して、「全国ポリオ会連絡会」を発足したのです。
私たち、ポリオネットワークの中にも、次々と拠点ができていきました。いまでは、岡山・香川・広島・愛媛・京都・滋賀にあります。 ※ 私たちの会は、当初、「ポリオの女性の会」で発足し、「神戸ポリオネットワーク」に変え、中国・四国・近畿地方の各県に活動の拠点ができていったので、「ポリオネットワーク」と名前を変更しました。  |
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ポストポリオに関する情報はかなりいきわたってきました。しかし、今でも、当事者、医療関係者であっても、ポストポリオをあまり認知していない人がいます。ですから、私たちの会としての課題は、まず、それらの人たちに対する啓発活動です。 次に、ポストポリオをよく理解してくれる医療機関を増やすこと。そして、私たちが、ポストポリオと折り合いながら、生活しやすくなるために、正しい医療情報を常に勉強しつつ、みなの知恵も寄せ合って、励ましあえればと思っています。
50才を過ぎてから徐々に衰えてきた筋力に対して、言い知れぬ不安にさいなまれてきた人達が、この「ポストポリオ」の概念を知って納得し、こんな症状を抱えているのは、自分一人ではないと分かったときの安堵感は、計り知れないものがありました。また、生活スタイルを変えて、無理をしないように心がければ、かなり予防ができることもわかってきています。
春と秋には各地で例会を開催しています。医師を招いての講演会やポリオ相談会、靴や補装具の講演会など。また、会員の体験談を聞かせていただくこともあります。一昨年からは川崎医科大学でポリオ検診会も実施していただけるようになりました。親睦目的でお泊り会やお食事会を催し、楽しむこともあります。
また、年に4回、会報を発行しています。各地での講演会の開催予定や、その報告。各地の病院情報。会員の体験談。そのほか私達に必要なさまざまな情報を掲載しています。それらの情報が私たちの生活に役立つのはもちろんですが、「私と同じような人がいるなあ」という安心感と連帯感を、きっと届けていると思います。
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1)「仲間と出会う」それは、「生き抜く力」と出会うこと 新聞に掲載されるたびに、たくさんの方々からお電話をいただきました。何千人もの人と話したと思います。かつての私もそうでしたが、「生まれて初めてポリオの人と話しています・・・」という人がどれだけ多かったことか。感極まって、電話のむこうで涙ぐまれる人もたくさんいらっしゃいました。行き交う言葉の中に、「そうそう。私も同じです」という共感があり、すぐに心が通い合いました。
これまで何度も例会を開いてきましたが、最初のころは決まって「泣き泣きポリオ会」でした。順番に自己紹介をしていくのですが、「私は何歳のときにポリオになって・・・」と話し始めたとたん、多くの人は声を詰まらせてしまいます。すると、その場にいるほとんどの人が、もらい泣きをするという始末。
運動会でびりになったこと、遠足についていけなかったこと、通知表の体育の評価がひどく悪かったこと、「びっこ」とからかわれたこと・・・などなど。それらは、ほぼ会員全員の共通の思い出であり、その痛みは自分の痛みと重なりました。
みなが同じという安心できる空間で、自分の思いを語り、不思議なことに一度泣いた後は、たちまち明るくなっていきました。
そうそう、こんな人もいます。電話をしてきたときも涙で声を詰まらせ、例会にきても、話しながらずっと泣き続け・・・。一番の泣き虫で印象的だった人なのですが、今や彼女は、例会に先頭きってやってきて、根っからの陽気者という顔をして、新しく入ってきた人を励ましています。
最近では、そんな人が増えてきて、例会は「お笑いポリオ会」。気の毒なことにその後入会してきた人は、泣けなくなりました。みんな最初は神妙な顔で、「泣きたいんだったら、泣かせてあげよう」と、我慢して話を聞いているのですが、話の途中で 「大丈夫やて・・・。私らも一緒一緒」なんて、肩をたたいて励ますものですから、泣き笑いになって、最後は「ハハハ」です。
例会では、靴や補装具の情報交換のため、足の見せっこもします。程度の差はありますが、みな同じような足です。「水中リハビリ」をしたこともあります。水泳は、体重の負荷がないので、私たちにはよい運動なのです。プールで泳ぐのは、足をさらけ出すことになるので、抵抗があるのですが、でも、たくさんの人数だと平気です。プールサイドを歩き、水中エアロビクスを楽しみました。同じような足がずらっと並んだときの壮快感は、きっと一生忘れられないと、私は思っています。
例会が終わってから、こんな葉書をもらったことがあります。
「柴田さん、ありがとうございました。参加してよかったです。初めて会った人たちばかりなのに、どうしてあんなにすぐうちとけられるのか、私は不思議に思いました。まるで、昔生き別れた姉妹に出会ったかのような気がしました」と。
会を始めてから 私自身も、ずいぶん変わりました。たくさんの人たちと何回も「ほんまやね」と共感しあうたびに、私は癒され、障害を持った自分を素直に客観視できるようになったと思います。
障害が軽かったために、私はあるときは障害者、あるときは健常者と、チャンネルを切り替えて生きてきました。しかし、それはかなりしんどい生き方でした。「私は私」というチャンネルに、やっとなれたとき、私は強くなりました。私の健常者の友達に対しても、また多くの知らない人たちの前でも、顔を引きつらせることなく、ポリオに関して感じていることを話せるようになったのです。そして、障害をもちながら、一生懸命歩んできた自分の人生を認めることができるようになりました。私だけではありません。会を重ねるたびに会員一人ひとりの表情が明るくなり、強くなっています。「仲間と出会う」、それは「生き抜く力」と出会うことかもしれません。
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2)「頑張りすぎ」の悲哀 前述したポストポリオが起きる原因は、ひとえに「頑張りすぎ」です。どうして、私たちは頑張らなくてはならなかったのか。なんでも健常者と一緒にすることを良しとされ、健常者なみを目指すよう叱咤激励されてきたからだと思います。私たちは会報などで、ポストポリオの予防として「無理をしない」ということを呼びかけていますが、これがなかなか至難の業です。
例えば 健常者の友達と一緒に旅行をすると、よくこんな場面に出くわします。「もう歩くのはしんどいから、タクシーに乗ろうよ」と友達。「賛成。私もしんどかったんだ」と私。でも、ふと「私に気を使って、タクシーに乗ろうと言ってくれたのかな」という思いがよぎるのです。
私は一歳から一歳半まで普通に歩けていたそうですが、物心ついてからは健常者をしていないので、健常者の言う「しんどい」が、どの程度のことなのか分かりません。肉体的条件が同じでないため、どの程度まで我慢して歩けば「しんどい」と弱音を吐いていいのか、どうしても分かりません。「私は頑張りが足りないのかもしれない。横着なのかもしれない」と思うものですから、自分からはなかなか「しんどい」と言い出せず、つい無理をしてしまいます。
この「頑張りの程度」に関して、障害者と健常者との間の食い違いが典型的に現れるのは、やはり労働の場面です。障害者が歯を食いしばって、「もう限界だ。仕事のやり方を変えてもらうよう申し入れてみようか」と思うほどに頑張っている状況であっても、周りの健常者は、「よくやっているなあ。障害をお持ちなのに実に立派だ」という程度の理解にとどまりがちです。障害者の側は、「できない」ことを認めるとクビになるのではという不安があるから、頑張ることをやめられません。でも、内心はつらくてしょうがないのです。
かといって、「できない」ことは「できない」のだからと「頑張り」をやめて、正直に「できない」と言った人が、うまくいくのかというと、決してそうではありません。哀しいことに「障害者は障害に甘えているからな」なんて言われてしまうのです。ですから、自分一人ならともかく、人との関係において、「無理をしない」ということは難しいことです。
一方、私たち自身の中にも、自分の障害を認めたくなくて、何でもできると肩肘を張ってしまう傾向があることも、もちろん否めません。意地を張り通すのです。ポリオの人は100 パーセント「頑張り屋さん」です。そうしなくては これまでの人生を生きぬいてはこれなかったからなのですが、この意地も過ぎると困ったものです。
二次後遺症の問題は、単に身体的な問題のみではありません。
私にも、こんなエピソードがあります。
次男が中学生のときでした。いつもは階段を上がるのがおっくうで、本人たちに任せている子供部屋の掃除をしたのですが、次男の部屋に見たことのない作文集が転がっていました。「新ちゃんが泣いた」という映画のビデオを見た後の感想文を集めたものでした。足の悪い新ちゃんが、普通学校の中で苛められても負けないで、頑張るという話です。パラパラめくっていると、次男の作文がありました。
「このビデオを見ていると、ぼくは、辛くなりました。ぼくのお母さんも足が悪いからです。………新ちゃんは、足が悪いのにいろいろ頑張っていて偉いと思います。でも、しんどいだろうと思います。お母さんを見ていてそう思います」。途中で字がかすんでしまいました。
もう、無理はやめよう・・・でも・・・。私も、いつも、その挟間でゆれています。
「頑張りすぎ」からは、何もいいことはうまれません。「頑張りすぎ」をやめなくては・・・。私もそう努めたいと思っています。
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会を支えてくれている人は、私も含め、みな当事者。会員もみな当事者。私たちは、典型的な自助グループです。
それに、ポリオワクチンの投与がはじまった昭和36年以前の生まれであるため、みな50歳以上で若い人はいません。そんな動きのあまりよくない人たちの集まりですが、16年間、多くの仲間と一緒に活動してきました。たくさんの医療機関ともつながり、「ポリオとともに」という本を作りました。全国ポリオ会連絡会の皆と一緒に、三冊の本を発行し、「ポストポリオ」の啓蒙に努めてきました。そして、ポストポリオで障害厚生年金が取れるようになりました。会としてまとまってきたからこその成果です。
一緒に活動してもらえたらと思います。
ほぼ同じ時代を、同じような後遺症を持ち、生きてきたものはそんなに多くいるものではありません。人生の中で受けた痛みは共通するものが多いはず。一言いえば、すっと痛みを共有できる・・・・そんな安らぎは、やはり得がたいものです。
さらに、同じような身体状況だからこそ、これから年をとっていってさらに不自由になると予想される生活を、何とか生きていくための知恵も出し合えるというもの。こんな病院が良かった、こんな装具が、こんな靴が良かった、こんな制度もあるよ・・・とか。伝え合うことは数多くあります。
この人生はかえられません。
それなら、「ポリオとともに生きていく」・・・・・
私も、ポリオに罹ったあなたも。みなで手を携えていけたら・・・・良かったら、ご参加ください。
入会の申込→
ポリオ経験者ではない方々にもお願いします。ポリオに関する良い情報がありましたら、ぜひお知らせください。 また、私達の活動への支援もよろしくお願いします。
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